自源流の継承
【自源流の継承】
◆天眞正自源流兵法の道統◆
流 祖 自 源 齋 一 任 自 一 坊
二 代 源 童 心 藤 原 廣 郷
三 代 源 源 心 藤 原 一 方
四 代 源 唯 廣 藤 原 景 光 一 心
五 代 源 玄 鬼 藤 原 基 教
六 代 藤 原 源 養 一 重
七 代 源 自 源 藤 原 一 至
八 代 尾 井 手 次 郎 大 夫 教 高
九 代 尾 井 手 次 郎 大 夫 忠 高
十 代 尾 井 手 次 郎 大 夫 忠 教
十一代 卜 部 宗 俊
十二代 卜 部 宗 景
十三代 卜 部 宗 春
十四代 八 尾 別 当 顕 幸
以上、ここまでは、流派に於ける伝承伝記。
◆天眞正自源流兵法成立の伝承系譜◆
第15代、開祖一世 瀬戸口與左衛門尉政基 ( 備前守・政重 )永正15年9月23日没
【天眞正自源流兵法開祖】
初め、小瀬與左衛門尉長宗、一説に(十瀬長宗)とあるが古文漢字の読み間違いである
第16代、二世 瀬戸口藤兵衛尉重為 ( 武蔵守 )天正5年11月18日没
初め、瀬戸口源之進
天文二十三年岩剣城の戦に島津義久の御旗指役として参加し戦功を上げた。
東郷示現流始祖/東郷重位の父、次男重治、三男重位共に東郷嫡家となる。
三男東郷重位は示現流を創始し薩摩藩御流儀となった。
第17代、三世 瀬戸口藤兵衛尉長重 ( 大和守 )永禄12年5月26日没
初め、政之進~瀬戸口弥八左衛門、瀬戸口重為の長男で流派家督を継承する。
第18代、四世 瀬戸口藤兵衛尉宗重 ( 和泉守 )慶長16年5月4日没
初め、猿渡三左衛門基広、瀬戸口藤兵衛尉長重の養子となり瀬戸口玄番允、
後に宗重(和泉守)を称す。
第19代、五世 薬丸兼陳 ( 大炊兵衛入道如水 )元禄2年8月5日没
初め、瀬戸口宗春、宗重の嫡子、瀬戸口家断絶の為、薬丸兼利の養子となり兼陳を称す。
東郷重治の孫、東郷重恒の子が瀬戸口宗春
第20代、六世 薬丸兼福 ( 刑部左衛門 )元禄6年7月29日没
初め、新蔵、父、薬丸兼陳嫡子、天眞正自源流兵法を継承する
第21代、七世 薬丸兼慶 ( 長左衛門 )宝暦8年9月17日没
初め、黒葛原周次郎、黒葛原俊宗の三男、
薬丸兼陳の娘(郁子) 俊宗の嫡子、兼陳の外孫。
第22代、八世 溝口一重 ( 一心斎 )寛政7年9月23日没
初め、溝口源三郎、成人して一重、号一心斎、
薩洲溝口家は蒲生嫡家溝口丹後介に起り島津家臣となる。
薩洲瀬戸口玄番允と縁戚。
第23代、九世 溝口源吉 ( 耀 芳 )文化12年3月19日没
初め、溝口弥八郎、一心斎の嫡子、成人して源吉、号・耀芳、流派を継承する。
第24代、十世 溝口周助( 幸 伯 )安政4年7月19日没
始め溝口源之進、源吉の嫡子、成人して源之進、号幸伯、薩摩出水郡大番役。
第25代、十一世 溝口貞勝 ( 宗重・源信斎 )明治29年4月27日没
始め、神田将次郎、周助の養子となり溝口貞勝となる。字・宗重、号・源信斎を称す。
第26代、十二世 溝口正緒 ( 藤原・玄心 )昭和22年3月9日没
溝口貞勝の嫡子三男、長男戦死次男病死により、天眞正自源流兵法を継承、
成人して出家、藤原玄心を号す。
第27代、十三世 上野靖之 ( 源心 )昭和48年5月23日没
溝口玄心より天眞正自源流兵法を継承する。
昭和39年に浅草に総合武道尚武舘を設立、戦後青少年の育成を行う。
第28代、十四世 上野景範 ( 源己 ) 昭和29年生
上野靖之源心の嫡子長男、四十数年間に渡り流派を研究検証、
源心の遺命を継ぎ、毎年靖国神社で奉納演武を実施、
総合武道尚武舘を再建して天眞正自源流兵法を公開指導する。
第29代、十五世 上野貴史 ( 童心 ) 昭和31年生
上野靖之源心の嫡子次男、実兄景範と共に天眞正自源流兵法を三歳の頃より学び、
流儀を兄から継承、次世代に公開指導する。
【重大なお知らせ】
天眞正自源流兵法は令和4年1月1日、當代を以って宗家制度を廃止した事を公示申し上げます。
宗家制度廃止の詳細につきましては、 をご覧ください。